Kaji-G ART WORKS /気ままに のんびり Diary

気ままに のんびり ダイアリー  = Artist 梶山こうじの 日常 =  制作日記 イベント情報 想い。。。いろいろ

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   サウンドハウス

    

  
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もう少し 「クオリア」

 
   さて。 クオリア について 調べてみただろうか?
   その 面白さを 自分の行動や 思い出を通して
   実感出来ただろうか?

   理論的な文章は なかなか 難しいので
   ここでは 実際の 実感の例で 感じてもらえる話をしよう。



   人の眼は たいがい 2つ である。
   その 2つの眼を使って 人は 対象物を 見ている。

   これを もし 光学的な意味での レンズで見る だけなら
   2つの眼 それぞれが 微妙に 視点が 左右にズレた
   2つの 違う(別々の) 図像を 見ることとなる。

   それを 単純に 重ねても 一つの図像には ならない。
   それどころか ピントが合ってない というか
   ブレた写真のような 混乱した世界にしか 見えないだろう。



   しかし 当然 人は 世界を そのようには 見ていない。

   これが 前回 話した
    皮膚(細胞)が 何らかの 刺激(波調)受け 感じると
    その全ての情報は 神経細胞(ニューロン)によって
    脳(細胞)に 伝達される。
   ということに 繋がっていく。

   つまり 伝達された 情報を 脳(細胞)が
   何らかの 処理(作業)を行い 一つの図像として
   再構築して 認識することで 今 あなたに見えているように
   世界が 見えるようになった ということだ。



   では 何故 こんな 大変なことをしているか?
   あるいは 何故 眼が2つあるのか? というと
   三次元(立体 空間)を 認識するため である。

   同様に 五感のうち 耳(聴覚) 鼻の穴(嗅覚)が
   2つ あるのも その為である。

   その必要がないのが 味覚 と 触覚 であることは
   すぐ 判るであろう。
   ある意味 どちらも 触覚 と言えなくもない。



   しかし 伝達された 全ての情報を 全て 利用するのか?
   というと そうでは無い。

   その中で 経験上 必要なモノだけに 絞って 選択する。
   全ての情報を 全て 処理するのは 脳(細胞)にとっても
   かなりの 負担となる。

   だから ほとんどの部分は 深層意識の中に ストックされる。
   消えること無く。。。



   さて 〈私〉の感性は 全ての情報を 受け止めている。
   しかし 使用される情報は ほんの少し。。。

   ここに 過去の経験なども含めて 〈選択する 私=脳〉が
   登場して来るワケだ。

   これが 個人差(個性) というもの なのである。

   だから 同じ物事に 接しても 感じ方が 異なるのである。



   そして これは ある程度 鍛えることも出来るし
   逆に 劣化することもある。

   体調や 感情(偏見) 興味 などなどによって 変化もする。



   例えば 広い公園に 遠くまで 人がたくさん居る とする。
   普通に 見ている時は 手前 奥など 三次元(空間)的に
   無意識のうちに 把握しているであろう。

   しかし 公園の奥(遠く)の方に 知人や恋人などが居たら
   三慈顔の空間を 一気に 飛び越えて そこに 眼が行くだろう。

   〈私〉の感性は 全ての情報を 受け止めている にも拘わらず。

   この違いが 〈選択する 私=脳〉 なのである。



   視界の狭い ジャングルに住む人が 砂漠のような 広い場所に
   連れて来られた時 遠くに居る人を見て
   「あそこに 小さな人が居る」 と言ったという 話がある。

   本当かどうか 判らないが 認識は 経験による と言える話だ。





   私事ではあるが 受験生時代に デッサンの 勉強を始めて
   とても 〈立体感〉というものに 興味を持った。

   絵画系の人たちは 光や 色彩(明度 彩度 色相)に
   興味を持つ(感性が働く)。

   それに対して 立体系(触覚系)の人たちは 立体感(空間感)や
   質感に 興味を持つ(感性が働く)。

   同じ 美術系の人間でも このような違いがある。



   もちろん 両方とも ある程度は 必要なのであるが
   中心となる認識が 違うので 過程も 結果も 違ってくる。

   で 僕は 〈立体感(空間感)〉だった。

   無自覚ながら 僕は これを中心に デッサンを学んでいった。
   当時は 如何に 立体感(空間感)を 表現するか
   もっともっと 立体感(空間感)を 感じたい! と思っていた。
   そして 必死に 苦しんで 苦しんで 描き続けた。。。



   ある日の朝 アトリエに入ると 突然! 空間が 観えた!!

   それまで 三次元を 三次元として 見ている と思っていたのに
   それは 全く 違うもの だった。

   今まで 見ていた世界は 平面的なもの だった。

   たぶん ほとんどの人たちは 三次元を 平面的に 見ている。
   同じ 美術系でも ほとんどの絵画系の人たちも たぶん そう。
   絶対とは 言わないが。。。

   というか 比較も 証明も することが出来ない というのが
   本当のところであろう。
   何といっても これは 「クオリア」の話 なんだから。



   この瞬間 僕は 感動のあまり 涙が 出そうになった。
   これが 空間なんだ!と 実感した。

   しかし それは なかなか 持続するもの では無い。。。
   いつの間にか 以前と同じように 平面的に なってしまう。

   でも 意識を向けて それを感じようと 努力を続けているうちに
   だんだん それが 観えるように なっていく回数が 時間が
   多く 続く ように 変わっていった。

   今では いつでも すぐ その状態に 入ることが出来る。
   もう それは 僕の中では 普通のこと。
   だから もう 最初の頃のような 大きな感動は 無い。
   もう 普通になってしまったのだから。(笑)



   このように 〈私〉の感性が 受け止めた情報の 認識は
   鍛えることが 可能なのである。

   そして それは 興味があること 夢中になれることなら
   どんなことにでも! 同様なことが 起こり得る。

   〈私〉という感性(=「空」なる感性)が 発動しさえすれば。




 


 





 
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