Kaji-G ART WORKS /気ままに のんびり Diary

気ままに のんびり ダイアリー  = Artist 梶山こうじの 日常 =  制作日記 イベント情報 想い。。。いろいろ

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   サウンドハウス

    

  
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〈私という鎧〉を観る

 
   さて 「一般的に言うところの 私」。。。
   「〈私という鎧(世界)〉を着た 私」 について
   その中心となる 〈「空」なる私〉の視点から 観てみよう。



   円グラフ状の 図を 思い出して欲しい。

   質量の無い点=〈「空」なる私〉 の周りに
   円グラフの内側(白 と示す)=〈私という鎧〉 が取り囲む。

   その外側(黒 と示す)に 〈私という鎧〉以外。。。
   つまり 拒否/拒絶した物事や 無関心な物事などが 取り囲む。



   ここで もう一度 確認しておくが
   質量の無い点=〈「空」なる私〉には 大きさも 時空間も 無い。

   これを 上に 便宜的に 中心 と書いたが
   実際には 白と黒で 対比される 〈境界(線)〉 とも言える。

   そして この〈境界(線)〉は 瞬間瞬間で 変化し続ける。



   悩んだり 迷ったり 逡巡していることや
   関心を持ったり 無関心になったり していることは
   白になったり 黒になったり。。。 目まぐるしく 変化している。
   まったくもって 忙しいかぎりだ。(笑)

   しかし これを行っているのは 〈「空」なる私〉 では無く
   〈私という鎧〉の 私 である。

   そう。 〈境界(線)〉は 白にも 黒にも 属さないのだから。

   二元対立を 観ながらも 二元対立とは 無関係に 在る。



   この〈境界(線)〉は 大きくなったり 小さくなったり する。
   これが 自然というものだ。



   これを 固定化しようとする者が 居る。
   それを 原理主義者 と言う。
   白と黒の 境界を ハッキリとさせ しかも 固定化しようとする。



   白を 非難し 否定し 拒絶していく者が 居る。
   それを 病気(病者) と言う。

   これは いわゆる 身体的な 一般的な 病気のことでは 無い。
   精神的(過去や 他と 比較する 思考)な 意味である。

   私(白)を ダメ!と否定したり 見ないように 無視したり
   見られないように 隠したり 気を使い過ぎたり。。。
   その為の 無謀な努力を払う。

   これを し続け 限りなく 白が縮小していくと ヤバい。。。



   その 反対側に 白を 拡大し続けようとする者が 居る。
   これは 言い方を変えれば 病者の 裏返し でもある。
   それを 信仰者 と言う。

   スピリチュアル系(天使系)の人に 多い気がする。

   現実(今)を 直視せずに イメージ(夢/希望)に すがる。
   未来や 神や 来世や アセンション 進化などに 期待する。
   今 存在しない 何かや 誰かに 頼ろうとする。

   しかし 全てを 白くすることは 不可能。
   何故ならば 黒は無限であるし 全てを 受け入れる ことなど
   生理的な部分も含めたら 生きている限り 無理なのである。

   しかも 唯一の 今(現実) を 否定しているのだから。



   では どうしたら好いのか?

   「〈私=空〉と〈私という鎧〉」 という日記に
   生まれたばかりの 赤ちゃんは 〈混沌とした 無分別の グレー〉
   と書いた。

   この状態を 限りなく 「空」に近い状態 と観る。

   この時 〈私という鎧(白)〉も それ以外(黒)も 消え失せる。



   でも 我々は 生まれたばかりの 赤ちゃん とは違う。
   我々は もう 〈分別〉を 知ってしまったのだから。。。

   しかし だからこそ 〈分別〉というものを を知りながら
   〈無分別〉をも 再認識(実感) 出来るのだ。

   赤ちゃんには 〈無分別〉を 認識することは 出来ない。
   これが 大きな 違い なのだ。



   そして それに気付いた者は 〈無分別=「空」なる 私〉と
   〈分別=私という鎧〉の 間を 自由に 行き来 出来るのだ。

   〈私という鎧の 私〉と もう一人の〈「空」なる 私〉。

   まず 〈「空」なる 私〉が 無分別(等価)に 観て(感性)
   〈私という鎧の 私〉が 状況に応じて 感応する。



   このことに 気付くことを 釈迦は 悟り と言った。

   そして このグレーの状態を 釈迦は 中庸(無分別) と言った。
   (孔子も 「中庸の徳」と 言っている。)



   〈「空」なる 私〉を 体感する為には
   〈分別=私という鎧〉を 徹底的に 見抜かねばならない。

   たとえ 覚醒的な体験を したとしても それだけでは ダメだ。
   そんなものは 役には立たない。

   それは 全てを白くすることに 繋がりかねない。

   だから 釈迦は 未来や 神や 来世や 霊 などに対して
   質問されても 否定も 肯定もせずに はぐらかした。



   今 を観ずに 今ここに存在をしない 物事のことを 考えるのは
   正に 分別=「苦」 であり 無意味なことである と。

   そのことを 悟れ と。





 
                                 *オオイヌノフグリ の花*






 
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